我々の市場原理とは異なる、クラのような贈与の仕組みで動く世界は「ギフトエコノミー(贈与経済)」と呼ばれます。お互いの代謝物を交換し合って全体として存続している腸内細菌の世界はまさにギフトエコノミーです。私たちもこのギフトエコノミーの中で腸内細菌と共生し健康を維持しているわけで、この姿勢は人と人との「あいだ」についても適用されるべきだと思います。昔から“情けは人の為ならず”という言葉があるように、我々人間は一人では生きられず、誰かを助けることで、実は自らが助けられています。世知辛いと言われる現代で失われつつあるこの考え方こそ、見つめ直すべき時に来ているのかもしれません。支え合う行為自体が「しきたり」になっているクラの精神は、持続可能な社会を形成していくうえで、また個々人の精神衛生を保つうえで、参考にすべき考え方なのではないでしょうか。発酵食品や食物繊維を摂る、高脂肪食を減らす、心を落ち着ける、腸内細菌に優しい環境を整えてあげることで、きっと我々にも良い恩恵が返ってくるはずです。
健康に関する情報や知っておくと役に立つ情報等を医師の視点からお伝えします。
第7回
腸内細菌との共生 -ギフトエコノミー
腸内細菌の共生は、文化人類学の「贈与」「交換」と類似
今号はいつもと視点を変えて、腸内細菌の全体像についてお話します。腸内細菌たちは、自分の代謝物をお互いに交換し合いながら「幸福社会」を営んでいます。自分自身を発酵デザイナーと称する小倉ヒラク氏は、この微生物の共生について、文化人類学の大きなテーマである「贈与」と「交換」との類似性を指摘しています。文化人類学の先駆者、ブロニスワフ・マリノフスキ氏が著書で記述したニューギニア島東部沖のトロブリアンド諸島に住む様々な部族たちが実施していた「クラ」という交換の風習を挙げています。彼らは、部族単位で腕輪と首飾りを交換します。大切なことは、贈られれば、贈った部族に必ずお返しをしなければならないということ。そしてお返しは、決まったものではなく、もらったもの相当、あるいはそれ以上と思われるものを必ず返すことになっています。
腸内細菌の世界はギフトエコノミー
原稿執筆
慶應義塾大学 予防医療センター 特任教授
慶應義塾大学 予防医療センター 特任教授
伊藤 裕(いとう ひろし)先生
京都大学医学部卒業後、ハーバード大学、スタンフォード大学医学部博士研究員を経て、慶応義塾大学医学部教授を務める。2003年に世界で初めて「メタボリックドミノ」を提唱。世界に先駆けて胃から分泌される「グレリン」がミトコンドリアを元気にすると発見。メディアに多数登場。
バックナンバー
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- 第8回 ミトコンドリア -生きる源
- 第7回 腸内細菌との共生 -ギフトエコノミー
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- 第4回 「善玉菌 vs. 悪玉菌」のうそ
- 第3回 1,000種類、100兆個以上の腸内細菌
- 第2回 生物はすべて「食べるために生きている?」
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