
音楽家としての原点から、出産をきっかけに医療の現場へー。産声を残す取り組みから始まり、分娩支援システムの開発など、これまでに160万人以上の誕生に関わってきた亀山さん。その裏には、最愛の人との突然の別れや自身の病と向き合った経験があります。喪失と再生、そしてJWティーとの出会いを経て、人の心と体に寄り添う新たな価値創出へ。ご縁を力に未来へと歩む軌跡をたどります。
人の心を動かす音楽の力
私はもともと音楽家として生きていくつもりでした。物心がついた4歳の頃には既に音に惹かれ、まだピアノが一般家庭にほぼ皆無の時代に、学校のピアノを触りたくて何度も足を運んだことをよく覚えています。音楽は人の心を動かし、癒し、時に励ます力がある。その確信は、今も私の原点です。
そんな私の人生が大きく変わったのは、31年前の長女の出産です。退院時にいただいた「産声のカセットテープ」がきっかけでした。夫が「これからはカセットが聴けない時代が来る」と言ったので、その言葉を先生にお伝えしたところ、「それはいかんね。カセットを差し上げたって、産まれた子どもが成人した時に自分の産声を聴けなくなるんだ」と。そこで、夫と1993年に立ち上げていた音楽事務所で「産声CD」という商品を作ることになったのです。
当時はカセットからCDにダビングする機械も高価で、工程もアナログそのものでした。それでも、この取り組みは瞬く間に広がり、全国の産婦人科から依頼が寄せられるようになりました。気がつけば、音楽家としての道から、産婦人科の現場を支える仕事へと大きく舵を切っていたのです。
160万人の誕生に関わる分娩支援システム」開発
そこからは、まさに怒涛の日々でした。産婦人科の先生方から開発資金とリクエストをいただいて、分娩環境の改善、患者さんへの説明ツール、アプリの開発、さらには赤ちゃんへのギフトやアメニティグッズまで、次々と新しい取り組みが生まれていきました。今では、ほぼ毎日のように全国どこかの産婦人科の先生とお会いしているような感覚です。
特に力を入れてきたのが、「分娩支援システム」の開発です。分娩監視装置というお産の時に必ず装着する医療機器と連動し、その人の陣痛の強さやタイミングに合わせて音や照明、映像をシンクロさせることで出産をサポートする仕組みです。その背景には、私が長女の出産に臨んだ際、事前に出産時の呼吸方法を体得していたにも関わらず、実際の現場ではあまりの痛さに我を忘れたことがあります。この新たなシステムは助産師が個々の状態に応じて対応できるように設計されており、呼吸法のサポートなどにも役立っています。現在では全国に広がり、これまでに延べ160万人以上の赤ちゃんの誕生に関わってきました。数字を見るたびに、命の現場に関わらせていただいている重みと喜びを感じます。
時が止まったような喪失の中で
ただ全てが順風満帆だったわけではなく、2008年には人生であまりにもつらい出来事が起こりました。事務所を共に立ち上げた夫が突然亡くなったのです。ライブ中に大動脈解離で心臓の血管が破裂し、一瞬の出来事でした。当時、娘が13歳、息子が7歳。搬送された病院に行くと夫がその時に着ていた服と靴を渡され、そのまま自宅に連れて帰りました。あまりの突然の別れに、心が現実を受け入れることができませんでした。たとえば、震災でさっきまで一緒に食事をしていた人が急に津波で流されて二度と会えなくなるという経験をされた方もいらっしゃると思います。
人はあまりにも大きな喪失に直面すると、時間が止まったようになります。私も外に出ることができず、人と会うことも、活字を目にすることもできませんでした。いわゆる鬱の状態です。そういう時期に大切なことは、たくさん泣くことだと思います。涙にはストレスホルモンが含まれていて、つらい気持ちや悲しみを一緒に体の外へ流してくれる働きがあります。泣くことで、少しずつですが心が軽くなっていきます。
そして、周りの方は「頑張って」と言わないこと。頑張れないんですから。頑張るというのはエネルギーがいること。頑張るエネルギーすら消滅している人にとって、その言葉は時に重くのしかかります。「ゆっくりでいい」と伝えながら、そっと寄り添い、話を聞く。それが何よりの支えになると、私は実感しています。これを「グリーフ(深い悲しみ)ケア」と呼びます。
偶然のようで必然だったJWティーとの出会い
夫を失った後、私自身も健康と向き合うことになりました。約10年後に肺がんが見つかり、手術も経験しました。診断してくださった病院の先生から、こんな言葉をかけられたのを覚えています。「がんは10年ほどかけて少しずつ大きくなります。その頃に、強いショックや深い悲しみはありませんでしたか?」と。振り返れば、夫を失った当時、私は完全に気持ちが沈み込み、いわゆる鬱のような状態でした。呼吸は浅くなり、体は冷え、運動からも遠ざかっていた―そうした日々が、免疫力を大きく低下させていたのだと思います。人の免疫は、心と体の状態にこれほどまでに左右されるのだと、身をもって実感しました。
思い返せば、JWティーとの出会いは肺がんの手術後、九州大学病院に入院していたコロナ禍の最中に差し入れていただいたのが最初でした。ただ、当時は院内で外部からの飲食物を控えるルールがあったため、実際に口にしたのは退院後、自宅に戻ってからでした。その後、まったく別の方のサロンで打合せをしていた際にも、再びJWティーが出てきたのです。「あれ、これ見覚えがある」と思っていたら、さらに別の方も愛飲されていて―気づけば、私の周りにはJWティーを飲んでいる方が多くいらっしゃいました。極めつけは、友人とのモーニングミーティングで偶然入った福岡・薬院エリアの「JWT cafe」。店内には商品が並び、広々とした空間にジムも併設されていて、とても居心地の良い場所でした。
その後、「ぜひ会ってほしい方がいる」と紹介され、石川社長とお会いしました。実際にお話して驚いたのは、いわゆる商品のアピールではなく、「ミトコンドリアの重要性」について一貫して語られていたこと。医療関係者とのご縁が多い私にとって、その視点はとても印象的で、深く共感するものでした。細胞一つひとつに存在するミトコンドリアの働きが、体の状態や免疫に大きく関わる。その考え方に触れ、実際に飲み続ける中で、体調だけではなく心の安定も感じるようになりました。たとえば昨年末、強いストレスを感じる出来事があったのですが、その際にJWティーを意識的に多めに飲んでいたところ、不思議と不安感が和らいでいったのです。「もう小さなことにとらわれなくていい」と思えるようになってから、新しい仕事のご縁も次々と広がっていったのです。まるで運気を引き寄せてくれるような、福の神のようなお茶―そんな印象すら抱いています(笑)。
台湾で広がるご縁とネットワーク
現在は日本にとどまらず、台湾との関わりも深めています。イオスも台湾に進出されていると伺いましたが、私自身も台湾で約1,700の医療機関にサービスを提供しているアプリ会社の経営者とも親交があります。また、台湾と言えば、コロナ禍において世界的にも迅速な対応で注目されたオードリー・タン氏が知られていますが、その次世代を担う存在として期待されているジャスティン・ユー氏ともご縁をいただいています。福岡の経済団体の活動で台湾を訪れた際、ご紹介いただいたのがきっかけでした。後に福岡へお招きして講演会を開催した際には、私が地元の経営者の方々をつないだことで、大きなプロジェクトへと発展したこともあり、彼からは冗談交じりに「ボス」と呼ばれています(笑)。
人と人とのつながりが、新しい価値を生み出していく。そのダイナミズムに、今、強い魅力と可能性を感じています。これからも、人の心と体に寄り添いながら、新たな価値を創出していく。そんな思いを胸に歩んでいきたいと思っています。
亀山 みゆき さん
1958年福岡県生まれ。山口芸術短期大学音楽科ピアノ専攻を卒業後、音楽講師や作曲活動を経て独立。1993年に夫と音楽事務所シンフォニアを創業(のちに法人化)し、出産を機に産婦人科分野へ事業を展開。分娩支援システムなど、音楽と医療を融合した独自サービスを開発。2008年より代表取締役社長に就任し、現在も医療現場の支援と女性のライフステージに寄り添う事業を推進している。






