
北海道・北見市の小さな町で育ち、なぜかいつも人前に立たされてきた少女は、流れに身を任せるように芸能界へと進みました。歌手・俳優・司会者として50年以上第一線を走り続けてきた沢田亜矢子さん。思い描いた通りにならない人生の中で学んだのは、「迷ったら流されてみる」ことの大切さだといいます。77歳を迎えた今も、SNSやボランティア、JWティーという新たな健康習慣を楽しみながら歩み続ける、そのしなやかな生き方に迫ります。
なぜか目立ってしまう小学校時代の原点
私の半生を振り返ると、「人生は流されてみるのも良いもんだ」というように思います。芸能生活50年以上—よくまあ続いたものだと自分でも感心してしまいます。北海道・北見市出身の私は、冬になればマイナス20°C、30°Cになるような土地で、人口も3万人ほどの環境で幼少期を過ごしました。今でこそカーリングの街として知られていますが、当時は本当に何もない田舎でした。全校生徒100人ほどの小学校で複式学級※。そんな環境で育った私は、なぜか小さい頃から人前に立たされることが多かったんです。
小学校1年生の時には、先生からの指名で学芸会の挨拶を一人でやらされ、2年生では独唱。理由はよく分かりませんが、どうやら「目立つ子」だったらしい。自分では覚えてないのですが、調子に乗るタイプだったみたいですね。褒められると、すぐその気になる。今思えば、それが芸能界向きだったのかもしれません。音楽との出会いも、先生のおかげでした。小学校5年生の時、音楽の先生が「この子は、ただ好きなだけじゃない。きちんと音楽の道に進ませたほうがいい」と、うちにまで話をしに来てくださったんです。うちは決して裕福ではなかったのに、両親は20万円近いピアノをポンっと買ってくれました。父は国鉄職員、母は兼業農家、それでも「子どもは教育しなければ」という思いが強かったんでしょうね。子ども3人、全員を大学に出してくれました。
※1年生と2年生など、2つ以上の学年をひとつにした学級。人生に迷ったら流れに身を任せてみる
高校卒業後の私は、東京に出て国立(くにたち)音楽大学・声楽科へ進学しました。モーツァルトやベートーヴェンと向き合う日々。教職の単位も取りかけて、通算5年ほど大学にはいました。でも、ある時思ったんです。「私、先生には向いてないな」って(笑)。単位を少し残したまま大学を辞めました。さあ、働かなきゃいけない。そう思って始めたのが、ピアノの弾き語りでした。高輪プリンスホテルの中にある、高級クラブ。ジャズのトリオバンドのチェンジで、私が一人でピアノを弾いて歌っていたんです。20歳そこそこの女の子が、一人で弾き語りをしていたものですから、目立ったんでしょうね。医師、政界、芸能界の方々…、そんなお客様が多い場所で声をかけられたのが、芸能界入りのきっかけでした。誘われるがまま日本シャンソン協会初代会長・石井好子さんの事務所に応募したら、あっという間に話が進み、「来週から現場に行ってください」と。昨日までクラシックをしていた私が、急にポピュラー音楽?サイモン&ガーファンクル、ビートルズ…、全然弾けない。クラシックを弾くと「それはやめて」と言われるし、夜のムードを出してくれとも言われる。これは大変な世界に来てしまったと思いました。
歌手としてレコードデビューもしました。声楽をしてきたので音程やピッチは正確、しかし、それが妙に上手すぎて可愛らしくないんだそうです。「これは売れそうもないな」と自分で思っていたところ、森光子さんの『ナショナルゴールデン劇場』の娘役に抜擢されました。そこから俳優の道が始まったのです。森さんの事務所の社長さんがものすごく厳しい人で、「なんてあなたは下手なの!」と、いつも怒られていました。でも、それが叱咤激励になって長く続きました。ありがたかったのは、続けていると誰かが必ず見ていてくれること。ドラマの主題歌を歌わせてもらい、アニメの主題歌を歌い、認知度が広がったおかげで朝の情報番組『ルックルックこんにちは』の司会へ。司会なんてやったことなかったんですよ。でもプロデューサーが、「派手な格好はするな、余計なことは言うな、にっこり笑って『はい、コマーシャル』と言えばいい」と。それでいいならとやってみたら、朝から「おやすみなさい」と言っちゃうし、渋滞に巻き込まれたせいでスッピンのまま出て、コマーシャルの間に化粧をして番組が終わる頃に整ったということもありました(笑)。最終的に5年以上を務め、それまでの番組は視聴率1%もなかったのに、14%くらいを達成しました。人生は自分が思い描くようにはならないし、思わない方向に行くもんだなと。そしてアドバイスは聞いてみるもんだなと感じました。言われるとすごい腹が立つ時もあるんですけれどね(笑)。人生迷ったら流されてみるのも手かなと思います。
若さの秘訣は毎日のインスタグラム投稿
今年1月1日で77歳を迎えました。若さの秘訣は、SNSのインスタグラム!毎日のように投稿しています。これが今の私にとって、世の中とつながる大切なツールです。気づけばフォロワーも3,000人近くになって、昔からのファンの方が追いかけてくださったり、新しい方が見つけてくださったり。若い芸能人がしていることを私も真似してみたら、世界がグッと広がりました。
「石川県復興ライブ」のようなボランティア活動も、今の私の大きなエネルギー源です。復興ライブの代表を務める若い子が訪ねてきて、「このようなイベントを開催します。ボランティアなのでお金は払えないのですが、来てくれますか?」と声をかけられたので、「もちろんです!」と即答。お金のためではなく、人の心に残ったり、誰かを元気にできたりする立場に、もう私はいるんだなと思えることが嬉しいんです。イベントやキャンペーンには、今も自分で車を運転して行きます。片道50キロの距離も全然問題ありません!カーナビのおかげで迷ったこともない。声を出して歌うこと、腹式呼吸で酸素をいっぱい吸うこと。それも若さや健康につながっている気がします。
100歳を目指すための新たな健康習慣
JWティーは、昨年公開のイオス協賛映画『男神』(おとこがみ)に出演したつながりで知りました。飲んでみると美味しいし、クセがない。ハーブティーと聞いて苦みや独特の風味があるのかなと思っていたのですが、それもない。すっと喉を通って、何杯でも飲めるんです。夜寝る前にいただいても、眠りを妨げることもありません。飲みやすいので、日常の中に自然と溶け込んでくれます。このお茶に出会えて良かったな、とつくづく感じています。
また、ナトラプロテインも摂っています。見た目は少し色が付いていて、粉はサラサラというより、ややこってりした印象。正直、溶け残るのではと心配しましたが、JWティーだけではなくコーヒーに入れても驚くほどスッと溶けたんです。これは特殊な製法※でつくられているな、と思いましたね。これなら無理なく続けられます。私も喜寿を迎えましたから、「プロテインで100歳まで生きるぞ」と思いながら、今も摂り続けています。
今年3月には『男神』のDVDが発売されます。縄文時代から続く荒ぶる神と「家族愛」をテーマに展開されるストーリーは、お子さまから大人まで幅広い世代が楽しめる作品です。怖さはなく、映像は美しくダイナミック。最後の14分間のカメラ6台を駆使したカメラワークは圧巻で、あっという間のハラハラドキドキ体験。何年後に観返しても、「こんな素晴らしい映画があったんだ」と感じていただける作品だと思います。
※ナトラプロテインはさらっと溶けやすい加工「即溶性顆粒(そくようせいかりゅう)技術」を用いている。沢田 亜矢子 さん
1949年1月1日生まれ、北海道北見市出身の歌手・俳優・タレント。歌手としてはデビュー曲「アザミの花」(1973年)、アニメ「家なき子」の主題歌「さあ歩きはじめよう」(1977年)などの代表曲を持つ。その後、朝の情報番組『ルックルックこんにちは』の司会として活躍し、広く知られる。ドラマや舞台、司会など幅広く活動し、近年は芸能生活50周年を記念して自主制作CD「夕顔/小さい花」を発売し、音楽番組や地方でのキャンペーンなど75歳を機に新たな挑戦を楽しんでいる。






