落語家 笑福亭 鶴光さん

「鶴光でおま」「わんばんこ」など、伝説のラジオ番組『鶴光のオールナイトニッポン』で多彩な流行語を生みだし、世間にその名を広く知らしめた笑福亭鶴光さん。上方落語の名手にして重鎮でもある鶴光さんに落語家としてこれまで歩んできた道のり、コロナ禍において大切にしている想い、健康とJWティーについて伺いました。

数々のスターを輩出した人気テレビ番組で落語を披露し、高校1年生で「名人賞」を受賞。

私が落語に魅せられたきっかけは、当時珍しい一人っ子だったというのが背景にあります。一人っ子というのは家で遊ぶ相手がいないでしょ。一人で本を読むとか、そんなことしかすることなかった。昔は貸本屋というのがたくさんあって、そこから漫画雑誌『ガロ』や手塚治虫さんの本を借りてきていました。その流れで、講談や落語の本を借りるようになり、読んでいるうちに自分で演じてみたいという気持ちが湧いてきました。講談は「勧善懲悪」の世界で、読む分には良いけど子どもが演じるには少し難しい。それで落語の小噺の本をもとに演じてみようかなと思い、学校のクラスでやったりするとウケるからこれは面白いなと。ウケたりしてくると人間は調子にのるから、もっともっとと(笑)。
高校1年生の時には、50年近く続いた大阪のMBS演芸番組『素人名人会』で落語の寄合酒を披露し、「名人賞」を受賞しました。同番組は長い歴史の中で数々のスターを輩出し、私以外だと桂三枝(現・六代桂文枝)、オール阪神・巨人、海原千里・万里(千里は現・上沼恵美子)などが名人賞を受賞しています。その際に高校1年生で賞金1万円と高級ズボンの引き換え券をもらえたので、これは普通のアルバイトより儲かるわと(笑)。それであっちこっちのオーディション番組に出ては荒らしていたら目をつけられてしまって。そのうちに明らかに他の人より自分のほうが上手いと思っていたのに落とされるようになりました。結局、常連になってしまうとテレビ局やラジオ局のプロデューサーが嫌がる。「またこの子が勝つのか」と。ただ、学生でそれだけ小遣いを稼げたのだから、プロになったらそれで生計を立てられるだろうと本格的に落語家の道を目指すことにしたのです。

1つのお題に師匠の稽古は口伝えの3回のみ。上手くなるために必死。

高校卒業後、当時「上方落語界の四天王」と呼ばれ、その芸に心酔していた6代目笑福亭松鶴に弟子入りしたいと思いました。強面の師匠だったので少し尻込みしていると、母から「顔の怖い人ほど心根は優しい」と言われました。ただ、弟子についてみると顔のまんまの性格(笑)。入門の際には松鶴のもとを直接訪問せずに「弟子にするなら○、弟子にしないなら×で返事をください」との内容を記した往復ハガキを郵送しました。いつまで経っても返事が来ないので劇場を直接訪れてみると、いきなりハガキで連絡してきたことに加えて、宛名の笑福亭を「松福亭」と間違えていたらしく会ってすぐに激怒されました。しかし、その時に偶然持ち込まれた師匠の独演会チラシが同じ間違いをしていて、「プロが間違うなら、素人が間違えても仕方がない」と許されたのです(笑)。そして、大声を出すように促されて叫ぶと、周りの先輩方も「大きな声を出せるなら芸人に向いている」と師匠に勧めてくださり、入門を認めてもらいました。
プロになったら稼げると思っていましたが、稼げるどころか最初は無給。その代わり、師匠のところに居ればご飯は食べさせてもらえる、芸も教えてくれるという感じでした。師匠は1つのお題に対して3回しか稽古をしてくれません。しかもすべて口伝え。1回目で大体の要領を覚え、2回目で細かいところを覚え、3回目でしぐさを覚えなければならない。それ以上、稽古をしてくれません。ただ、いつも3回終わったらすぐに「犬の散歩に行ってこい」と外に出されます。ですから1時間くらいの散歩の間に教えてもらったものを頭の中で反芻する。近所の人はどう思ったのでしょうね。浴衣を着た男が、ぶつぶつ一人で喋りながら、目線も定まらずうろうろしていたら(笑)。上手くなるために必死でした。
たまに自分の家に帰らせてもらいましたけど、ほぼ住み込みまでしたのは弟子の中で私くらい。一番弟子は「どんなんかな~」のフレーズで有名な3代目笑福亭仁鶴、二番弟子が私です。徐々に弟子が増えてくると、師匠も自ら稽古をせず、兄弟子が教えるようになっていました。かわいそうに弟弟子の鶴瓶なんか、ほぼ一切師匠から稽古をしてもらっていない。彼の場合は、師匠が可愛がっていた九官鳥の鼻の穴にイタズラでつまようじを刺して大激怒された過去があるのでそれも原因かもしれませんが(笑)、師匠も始めから「こいつは自分流の語り口があるから、下手に教えないほうがいい」と思ったのもあるのでしょう。
本当に芸事に関して厳しい師匠でしたが、後年、上方落語家として初めて「紫綬褒章」を受章した立場でありながら、東京の落語家が関西に来演した際、自らはトリに出ず東京の方にトリを取らせていました。「わざわざ遠いとこから来てくれている、気持ちよう出てもらわなあかん」というのが口癖で、その心遣いにみんな感激していました。私が東京の落語芸術協会に加入した時も、周りの芸人たちが「松鶴さんに世話になったから」と手厚く扱ってくれ、東京でも気持ちよく落語をさせてもらっています。私が70歳を超えても、落語でお仕事をできているというのは師匠のおかげですね。

伝説のラジオ番組『鶴光のオールナイトニッポン』の復活。同世代に元気を届ける。

私自身、深夜ラジオの『鶴光のオールナイトニッポン』で世間の皆さんに知っていただきました。基本はリスナーからのハガキや電話をもとに好き勝手喋っていただけ。放送が毎週土曜深夜1時~5時の長丁場だったこともあり、ある時はお腹が減ったので屋台のおでんを食べに行こうと、音を調整するミキサー一人を残してスタジオを離れ、場つなぎとして『河内音頭』のフルコーラス(約30分)を掛けたことがあります(笑)。当時ニッポン放送の名物編成部長の亀渕昭信さん(後に同社社長)が異変に気付いてしまい、私がスタジオに戻ったら叱り付けられました。亀渕さんから「オレの分のおでんはないのか?」と聞かれたので、「ない」と答えるとさらに怒っていました(笑)。私のラジオは色っぽいネタで人気を博しましたが、そういうネタをしていたのは誰も傷つけないからです。人を批判するような内容は、言われた人を傷つけるし、自分も傷つく。近頃ラジオで何かを批判したりしている芸人もいますが、政治でも野球でももっと詳しい専門家がいます。芸人はおもしろかったらそれでいいんです。
最近たまに仕事で学校とかに行くと、校長先生が少年の目に戻り、耳元で「ラジオ聴いていました」と囁くのです。昔は学校の朝礼などで「鶴光のラジオだけは聴くな」と名指しされていたらしく(笑)。ミュージシャンの福山雅治さんも「しゃべりの師匠は鶴光師匠」とファンを公言してくれていて、ゲストとしてラジオに呼んでくれたこともあります。今年の4月には、ニッポン放送にて5夜連続で「鶴光の噂のゴールデンリクエスト」復刻版として生放送で2時間喋らせてもらいました。また、現在「オールナイトニッポン」とJ:COMがコラボレーションした番組を、隔週土曜J:COMテレビで放送しています。私の同世代が見てくれていて、「この人、この年になってもまだバカバカしいことしている」と生きる希望というか、まだまだ自分も老け込む歳じゃない、頑張ろうという気持ちになってくれているようです。

90歳でも落語をし続けるため、日本の伝統芸能の勉強と心と体の健康に努める。

やはり本職は落語だと思っています。これはありがたいことに80歳になっても、90歳になってもできる。ただし、落語が上手くなければ厳しい。そのために三味線をしたり、笛を吹いたり、日本舞踊をしたり、長唄やったり、能を見る、狂言を見る、歌舞伎も見る、とありとあらゆるものから学び続ける必要があります。また、健康であることが絶対に不可欠です。70歳を過ぎた友達を見ていると、タバコを吸い過ぎて肺気腫になったり、うつ病に掛かったりする人が多い。今まで仕事をやってきていたのが、突然なくなるとガクッときてしまうのでしょうね。
落語家の仕事は不規則で、終わる時間も遅いし、朝早かったり、地方に行ったら外食もあったりするので、私はできるだけ朝起きて1時間歩くようにしています。地方では歩きながら、ついでにその街の情報を仕入れて、落語のつかみに使うと盛り上がります。家でもルームランナーで歩きながら、毎日ネタを頭の中でめぐらせています。走るのではなく、歩きだと噺とちょうど呼吸が合い、ギャグとかも浮かんできます(笑)。
あと、“病は気から”と言いますが、気の影響は大きいらしいですね。「お前顔色悪いぞ」とみんなから言われると、本当に病気になってしまうこともあるくらい。そこで逆に、自分は落語が上手い、自分は健康だ、自分は幸せだと言い聞かせてみる。思い込みが大切。結局、嫉妬や妬みとかも自分の心が作り出した妄想。「なぜあの人ばかり仕事があって幸せなの?」「なぜあの人ばかりモテるの?」など、相手のほうが幸せというのは全部自分の気持ちが作り出した妄想であって、内なる中で自分は幸せだと思ったら幸せなのです。天国というのは己の中にあり、幸せも己の中にあります。

食事、運動、睡眠で自己免疫力を高め、コロナ予防も意識。

ただ、今回の新型コロナウイルスのように突然やってくるものもあります。私もほとんどの舞台がキャンセルになりました。その時はこう考えるようにしています。過去は単なる記憶、未来は余計な期待、大切なのは今自分が何をすべきか、今何をしたいのか。自分の責任ではない、誰かの責任でもない、こういうことがあるのです。だから未来に過大な期待なんてしてはいけません、今どうすべきかを徹底的に思慮することです。そして、不運とか、不便、つらいことを味わうと、そのあとに周りの人やものへの“感謝”の想いが自然と浮かび上がってきます。「今まで多くのものに助けられていた」という感謝を知ることは人間がバーンっと進歩する大切な要素になります。
私はいまJWティーを毎日飲んでいます。少し疲れ気味かなと思ったら多めに2、3杯飲む。それに運動を組み合わせると汗がたくさん出て気持ちいい。また、バイオプラスは最初に水を口に含んでから飲むようにしています。飲むとお腹がスッキリして良いですね。同じくJWティーを飲んでいらっしゃる都立駒込病院・脳神経外科部長の篠浦伸禎先生とは、私の落語会に来てくださったご縁でお話ししたのですが、患者さんのことを第一に考えるこんな素敵な医師がいるのかと感銘を受けました。患者さんが意識のある状態で手術をする「覚醒下手術」など、最先端の医療に取り組みながら、漢方など東洋の医療にも興味を持つというのは不思議でした。篠浦先生の書籍『脳にいい5つの習慣』も読みましたが、随分いろいろと考えさせられました。結局、現在はまだウイルスをやっつける方法がありませんので、自分で食事、運動、睡眠などを意識して免疫力を高めるしかありません。いまJWティーやバイオプラスを飲めているのは幸せなことですね。

笑福亭 鶴光さん

1948年大阪府生まれ。1967年4月に6代目笑福亭松鶴の二番弟子として入門。翌年2月に大阪新世界新花月で初高座。1974年から11年9ヶ月続いたニッポン放送『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン』のパーソナリティとして絶大な人気を誇る。1975年にはゴールデンアロー賞新人賞、1976年には夜のレコード大賞最優秀新人賞を受賞。その後も受賞多数。マスコミの寵児として売れに売れる一方で、元来は素人参加番組で賞金荒らしをした上でプロ入りした名手であり、上方では“落語の神童”とまで評された。落語芸術協会へのゲスト出演を経て、落語芸術協会の会員となり、東京の定席への出演は30年を超えた。今や上方落語の本格、正統を受け継ぐ貴重な存在。講釈ネタ、浪曲ネタの落語化にも熱心。さらに長年温めていた傑作群のネタ卸にも意欲的に取り組んでいる。2018年からはオールナイトニッポンとケーブルテレビJ:COMがコラボした『笑福亭鶴光のオールナイトニッポン.TV@J:COM』を隔週土曜J:COMテレビにて放映中(22:00~24:00)。番組の詳細は、こちらから

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