出版社『きれい・ねっと』の代表として、これまでお一人で二百タイトル以上の書籍を手掛けてこられた山内さん。人生で起こる良いことも悪いことも、すべてこころの宝物を増やすものになると語る山内さんに、書籍づくりに込めた思いやJWティーについて伺いました。
詩を書き終えた後に分かったのは、「私たちには愛があるんだ」ということ。
前日まで元気だった夫が突然死でこの世を去ったのは、二〇〇四年、冬の寒い朝のことでした。人生、一寸先は闇とよく言うけれど、その闇の重みを本当の意味で知ったのはこの時だったかもしれません。夜になるとひとり、小さな仏壇の前で涙を流し眠れない夜を過ごしていました。
そんなとき、ある出版社の方から「家族への手紙のようなつもりで、詩を書いてみませんか」と声を掛けていただきました。良い機会だからあらいざらい書こう。そう決めた私はノートを一冊用意して、思いつくままに夫への思いを書き始めました。最初はあたりさわりのないことを書いていたのですが、聞いても仕方がないと思い、ずっと口にせずにきた「どうして死んじゃったの?」という言葉を書いた途端、それまで我慢していた言葉が堰を切ったようにあふれてきました。「どれだけ私がつらいと思っているの?」「旅行に行こうって約束したじゃない!」、泣きながら夫への悪口を書き続けたのです。
ところが、書き疲れて何も思いつかなくなったとき、ふと我に返った私はその悪口を読み返して愕然としました。私、なんてひどい事を書いているのだろう。死んでしまって一番怖かったのは彼なのに。わが子を抱きしめることができなくなって、一番つらいのは彼なのに……。「ごめんね、ほんとうにごめんなさい」。一つひとつの言葉の後にごめんなさいと書きました。ずいぶん時間はかかりましたが、全部にごめんなさいを書き終えると、不思議なことにこころの中の霧が晴れたようになって、今までとは違う景色が見えてきました。
学生時代に出逢ってからお別れするまでの十数年間、一緒に過ごしてきた楽しい思い出が次々とよみがえってきたのです。それからは、楽しかった思い出を、思い出せる限り、ひとつずつ書きました。自然と一つひとつに「ありがとう」の言葉が付いていました。すると、久しぶりに彼の笑顔が、こころの中に広がりました。幸せな時間でした。そうして全部を書き終えた後、「私たちには愛がある」と思ったのです。
人は一人で生まれて、一人で死んでいく。けれど、何も残らないわけではない。いのちを綿々とつないでいくのは、いのちの度に重ねられていく「愛」なんだと。私の息子にもその愛をつないでいかなければならない。私は最後に「愛しています」と書いて、ペンを置きました。それは夫とのすべての思い出が、かけがえのないこころの宝物になった瞬間でした。
一遍の詩を書いた、それだけのことでしたが、この後私の人生は百八十度変わってしまいます。その詩を書籍化するにあたり、両親が経営している印刷所で製作することになり、それであれば自分の出版社を立ち上げようと始めたのが『きれい・ねっと』なのです。
『きれい・ねっと』発行書籍に‘絶版’はない。一冊でも注文を受け付ける。
『きれい・ねっと』を立ち上げた当初は、自分の想いや取り組みを表現したいと思っている方の最初の一歩を踏み出すきっかけになるような作品、いわゆる自費出版のお手伝いがほとんどでした。書店の流通もしますが、主な販売は講演会などを開いたりしてご紹介し、買っていただくという流れでした。
そんな中、もう一つの販売の流れとして考えたのが、書店には流通をさせない小冊子を作ることです。実は現在の出版業界では、日本中で作られた本のうちおよそ半分が返本され廃棄されてしまっています。どんなに世のため人のためになる内容でも、結果的に環境破壊になってしまうような現状をとても悲しく感じた私は、自分たちで何とかできないだろうかと考え、普通の書籍と同じくらいの文字量と内容を小冊子として発行し、ネットショップやイベントで安価で販売するという取り組みを始めたのです。
『きれい・ねっと』では、文章作成、編集、デザイン、印刷、製本までのすべての作業を自社で行うことによって大幅なコスト削減を実現しています。また、フルオンデマンド印刷という手法を使って、小部数からの製作を可能にしているため絶版することがありません。必要としてくださる方がいらっしゃる限り、一冊でも『きれい・ねっと』のネットショップなどでご注文を受け付けています。
そんな地道な活動を続けているうちに、経営コンサルタントとして著名な故船井幸雄先生が書籍をご紹介くださって、それをきっかけに様々な先生方が「『きれい・ねっと』で出版したい」とお申し出くださるようになったのです。先生方には「書店などに並びませんし、部数が少ないので印税もあまり出ません」と正直にお伝えするのですが、「あなたのところから出したい」と言ってくださって。私が大切にしているのは売らんがためではなく、本当に伝えたいことを大切にし、かつ読んでくださる方のお役に立つようにという思いです。例えば、見出しなどを派手な謳い文句にすれば一時的には売れるかもしれませんが、それは本当にみなさんが求めているものではないし、逆にそういう情報に踊らされていてはいけないのではないでしょうか。各分野で道を極められた先生方が次々と原稿を預けてくださるのは、きっとその思いに共感してくださっているからだと感じています。
夫を亡くしているということで未だに「かわいそうね」と同情してくださる方もたくさんいらっしゃいます。でも人間は必ず死ぬもの、死を不幸と捉えると不幸に向かって歩んでいくことになってしまいます。せっかくいただいたいのちならば、いのちある今に感謝して、終わりを迎えるそのときまで楽しく生きることこそが大切なのではないでしょうか。そんな『きれい・ねっと』も、今年二月二十二日で十周年を迎えさせていただきます。実は二月二十二日は夫の命日でもあり、彼が一緒にこころの中にいてくれるようになった私の新しい誕生日だと思っています。
二百タイトル以上の書籍づくりで倒れた時にもJWティーが助けてくれた。
両親が〝本の虫〞だったことは幼い頃から知っていたのですが、『きれい・ねっと』を始めてしばらくした頃に母から「お父さんは本当は書籍を作りたくて四十年ほど前に印刷所を始めたのよ」と聞いて、本当に驚きました。運命に翻弄されて始めた出版社でしたが、実は父の夢を叶えることにもなっていたのです。
ただ、この十年近く子育てをしながら一人で会社を切り盛りしてきて、私も無理がたたり体を壊してしまうこともありました。そんな時はJWティーにも本当に助けていただきました。そんな中、EOS発行の『別冊ハーバライン』を見てみると、『きれい・ねっと』で書籍を発行してくださった方のお顔がたくさん並んでいて大変驚きました。心身ともに健康に過ごすために必要なものを直感的にご存じの方ばかりなので、自然とJWティーを飲まれているのだと思います。医療、エステ、生き方の教えなど分野は違いますが、きっと根っこのところはつながっているのですね。
私がいまとても気に入っているのがバイオプラスです。毎朝プレーンのヨーグルトに入れて食べているのですが、冷え性なので体を温めるショウガも入っているのが嬉しいですし、味も大好きなのです。バイオプラスを飲んだ次の日はスッキリ感がまるで違います。体とこころを健康に保ちながら、これからもたくさんの皆様に読んでいただけるすばらしい書籍を作って、きれいな思いがつながるネットワークを広げていきたいと考えています。
1974年兵庫県生まれ。
様々なジャンルの本づくりのかたわら、多くのイベント・講演会などを企画して、「なおちゃん流ホ・ポノポノ」を伝えるとともに、「誰もが主人公となって、表現できる場所づくり」を提案。
◆きれい・ねっとホームページ http://kilei.ocnk.net/