板橋 かずゆきさん(盲目のシンガーソングライター)インタビュー

3歳の頃から視力を失い始め、現在は盲目のシンガーソングライターとして活動を続ける板橋さん。明るく前向きな姿勢で、聴いた人が生きる勇気をもらえるような曲作りに励んでいます。演歌歌手・川中美幸さんに楽曲を提供し、作詞作曲家としてメジャーデビューを果たすなど活躍の場を広げている板橋さんに、これまでの人生で得られたことや愛用しているJWティーについてお伺いしました。

母から病院の屋上で言われた「一緒に飛び降りよう」。

私は生まれて4日目に大変な高熱を出し、お医者さんから「助かる見込みは少ない」と告げられたそうですが、両足太ももへの注射により奇跡的に熱が下がり、その後は普通に家の中を1人で走り回ったり、テレビを見たりしていました。しかし、3歳のある日、父がイタズラで私が好きだったミニカーを隠した際、目で探そうとするのではなく、手探りで見つけようとしたそうです。これはおかしいと思い、町の小さな眼科に連れて行くと、「緑内障の疑いがあるので大学病院でちゃんと調べたほうが良い」と言われたのです。大学病院では、緑内障のため手術をしなければならないと診断され、半年の入院期間に3回の手術を受けました。当時は両親も手術をすれば治るだろうと、そこまで深刻に受け止めていませんでした。しかし、視力は戻らず、ずっと付き添ってくれていた母はお医者さんに「私の目を片方この子に使ってあげてください」と頼んだそうです。お医者さんからは「緑内障は目の玉の病気ではなくて視神経の病気なので、お母さんの目をかずゆきくんにあげても意味がないんです」と言われてしまいました。母は、自分のせいで見えなくなってしまったのではないかと、すごく責任を感じてしまったようです。

そして、ある日、私を病院の屋上に連れて行きました。その時に母が私を抱っこしながら、「かずゆき、ここから飛び降りて死のうか」と言ったんです。完全に見えなくなっていたわけではなかったので、そこからの景色や母の声は、ずっと記憶に残っています。「飛び降りて死ぬ?」というのが怖いと感じ、「嫌だー」と叫んだのを覚えています。母は本気で死のうと考えていたようです。まず私を先に行かせ、自分も後を追ってと。ただ、私の声にハッと我にかえり、思いとどまってくれたのです。

板橋さんの楽曲制作部屋。ギターだけではなく、キーボードやドラムも巧みに操る。

由緒あるコンクールで「準グランプリ」を受賞し、プロの音楽家へ。

6歳の時に親元を離れ、青森県立盲学校の寄宿舎に入りました。小学6年生の時にはものがほとんど見えなくなり、普通の文字での勉強が困難になり、点字で勉強するようになりました。中学に入ると、「いずれこうして全部見えなくなるのか」とか、「今後も自分の人生つまんないだろうな」とか自暴自棄になってしまい、親や教師に反抗的な態度をとることも多くなりました。

その頃に学校の友達から「一緒にバンドを組まないか」と誘われたのです。13歳からギターを弾き始め、15歳の時には作詞作曲も行っていました。音楽に没頭していると心が軽くなるようで、目が見えないこととか、生まれてきた意味とか、そういう不安が吹き飛んでしまいました。そして、楽しい仲間たちと出会えて音楽ができる自分はすごく幸せ者だなと思えるようになりました。そんな想いを抱いた18歳の時に、ふと3歳の病院の屋上での出来事を思い出したんです。目が見えないことで色々と悩んだり、死んでしまいたいって自分も考えたりしたけど、きっと母もあの時に生きていけないと本気で思ってしまったんでしょう。親の気持ちを初めて理解できた、この想いを歌にしようと作ったのが「ブラインドマン(盲目の人)」という曲です。その中には、「母とふたり 病院の屋上 泣いたこと 死んでしまえば何もかも終わりさ」という歌詞が入っています。その歌で私は、障がい者の国際音楽コンクール「第2回ゴールドコンサート(2005年)」で準グランプリを受賞し、年間100本を超えるライブや講演の依頼が届き、プロの音楽家への道を歩むきっかけとなりました。

ただ、この話には後日談があります。まず母は、病院の屋上での出来事は私が3歳だったこともあり、全く覚えていないとずっと思っていたので全身に鳥肌が立つほど驚いたようです。ましてや、父はそんな事実があったことさえ知らず、自分の妻がそこまで思い詰めていたことに初めて気付きました。私にとって、より衝撃だったのは、弟は屋上の出来事を母から一度聞いていただけではなく、その時の母のお腹の中にはすでに弟の命が宿っていたことを教えられていたそうなんです。弟は、「兄貴があの時、『嫌だー』と言ってくれなかったら、僕もいまこの世界にいなかったね」なんて言っています。もしかしたら、母は万が一、次に生まれてくる弟も目が見えなくなってしまったらどうしようと思い悩んでいたのかもしれません。

故・平尾昌晃さんや作詞家・湯川れい子さんなどが審査員を務めた由緒あるコンクール。

川中美幸さんに楽曲を提供し、作詞・作曲家としてメジャーデビューを果たす。

「津軽さくら物語」のツアー中、弘前城の前で川中美幸さんと。
板橋さんが作詞や作曲を手掛けたCD。

2017年には私は演歌歌手・川中美幸さんのCDシングル「津軽さくら物語」で作曲家としてメジャーデビューを果たすことができました。川中さんとお仕事をご一緒させていただいたのも偶然のご縁がありました。川中さんのお母様が営んでいたお好み焼き屋で友達の歌手が歌うことを知り、足を運び、そこで初めて川中さんにご挨拶させていただいたところ、私のマネージャーが突然「ウチの板橋も歌手なので、ここで歌わせていただけませんでしょうか」とオファーをしたんです。川中さんがまた良い人で、「いいんじゃない?」と快諾してくださり、そこで歌わせていただくことになりました。当日歌っている時、私は目が見えないので気付かなかったのですが、川中さんが後ろの席で聴いていたらしく、私が作った「津軽さくら物語」という演歌調の曲をとても気に入ってくださいました。そして、「CDがあったら買います」と仰るので、「これは私が歌うのではなくて、誰かに歌ってもらいたいと思って作った曲なのでCDにしていません」と伝えたら、「じゃあ、私が歌います」と。川中さんと言えば、弦哲也先生のような大物作曲家が担当する方で、私のような青森から出てきた無名のシンガーが担当することなんて通常はあり得ませんが、川中さん自らプロデューサーを口説いていただいたことで、CDの発売が実現しました。さらに2019年には、亡くなったお母様への愛がたくさん詰まった川中さんのアルバム「おかあちゃんへ~少しサヨナラ~」で私が作詞作曲した「少しサヨナラ」が収録され作詞家としてもメジャーデビューを果たしました。川中さんには弦哲也先生にもご紹介していただき感謝しかありません。

「ふたり酒」「天城越え」など作曲数2,000曲を超える日本作曲家協会会長。

JWティーを飲んで5年、目の健康を気遣うことができた。

健康で気を付けているのは、喉は当たり前ですが、全身です。全身が健康じゃないと良い声は出ません。さらに言えば、歌は心で想いを届けることも大切なので、心と体の健康が重要だと考えています。睡眠をできるだけ取り、毎日1万歩は歩くようにしています。JWティーは飲み始めて5年。もともとマネージャーがJWティーを教えてくれたのですが、今では私のほうがたくさん飲んでいるくらいです。昔からお茶は好きでしたし、お酒もたしなみますが、チェイサー代わりにJWティーを飲んだりします。

もちろん、私が最も意識しているのは目の健康です。緑内障を発症する原因の1つに眼圧の上昇があげられます。眼圧が高くなることによって、視神経が障害されてしまうのです。私も以前は光や影は認識できていたんですが、それさえもどんどん失われてきました。ただ、JWティーを飲み始めてからは気持ちが落ち着くのか、目元の緊張状態が解けた気がします。昔から眼圧を下げる目薬が欠かせませんでしたが、ここ4年くらいはまったく目薬を必要としていません。いま40歳以上の約20人に1人は緑内障の疑いがあると言われているので、ぜひ皆さんにも定期的な目の検診をお勧めします。

心の健康の面で言うと、私は音楽によって人生を救われました。今度は私の音楽を聴いて救われたとか、誰かを助けることができたら良いなと思っています。実際に鬱っぽくなっていた人が私のコンサートに来て、生きる勇気をもらったと応援してくれることもありますし、そんな歌を届け続けたいです。今後、どれだけ医学が進歩しても私の目が見えるようにはならないでしょう。それであれば、見えない人生を楽しんだほうがいいなと。「見える人」ができない経験だと思い、それを曲作りにも生かす。そりゃ、見えていたらいいなと思うことはいっぱいあります。よくその辺の壁にぶつかって血を流したりしていると、「なんだよ」と思うこともあるけれど、その想いも曲に変えて、私にしかできない表現をしていけたら良いですね。

板橋 かずゆき さん

1970年青森県生まれ。視力が弱く6歳で親元を離れ、青森県立盲学校に入学。その後、さらに視力を失い不安定な日々を送る中、友人からの誘いでバンド活動を始め、作詞作曲も手がけるように。2005年、「第2回ゴールドコンサート」で準グランプリにあたる歌唱賞を受賞。これを機に依頼が殺到し、年間100本を超えるライブ・講演を開催。2017年演歌歌手・川中美幸さんのCDシングル「津軽さくら物語」で作曲家としてメジャーデビュー。

板橋かずゆき公式WEBSITE : http://www.itakazu.com/

板橋さんのYouTubeチャンネル「板かずTV」。
音楽活動だけではなく、大食いに挑戦したりと日々板橋さんが奮闘します!
https://m.youtube.com/channel/UCF-TjD8L4oa7QDIYa3iHuiw
テレビにも出演します!
BS12「山岸信美ミュージック☆倶楽部」
【3月~4月】毎週土曜朝5時~
https://www.twellv.co.jp/program/music/music-club/
ジェイソン・ウィンターズ・ティー