2歳からピアノを始め、これまでずっと音楽に携わってきた麻衣さん。4歳の時にはジブリ映画『風の谷のナウシカ』の劇中歌を歌い、世間に大きなインパクトを残しました。透き通った声はその後も数々のCMや映画音楽に起用され、現在は楽曲のプロデュース業にも取り組みます。最近の活動や家族みんなで飲まれているというJWティーについて伺いました。
生まれて初めてのレコーディングは4歳の時、
『風の谷のナウシカ』の劇中歌を歌う。
私は音楽大学出身の両親の影響もあり、2歳からピアノを始めました。作曲家として活躍している父の久石譲よりも、むしろ母からの勧めのほうが強かったですね。有無を言わせない感じで「2歳になったので始めましょう」みたいな(笑)。ただ、その当時の記憶はあまりなくて、私の人生でのほぼ最初の記憶は4歳でスタジオジブリ宮﨑駿監督作品の『風の谷のナウシカ』の劇中歌をレコーディングした時のことです。主人公のナウシカ幼少時の回想シーンで流れる「♪ラン、ランララ、ランランラン~」と続く曲で、タイトルは『ナウシカ・レクイエム ― 遠い日々 ―』。記憶としては、スタジオまでの坂がすごく急だったこと、寒い時期でバレンタインが近かったのでスタッフさんたちにチョコレートを持って行ったこと、暗いブースに一人で入れられ、少し怖くなって泣いたこと。そもそも父は、あの曲をボーイソプラノの声で録音する予定だったらしいのですが、イメージを伝えるために家の中をウロチョロしていた私に歌わせてみたところ、意外にも宮﨑監督が気に入り、正式に私が歌うことになりました。『風の谷のナウシカ』は年に1回くらいはテレビで放送されますよね。幼い頃は「麻衣ちゃんの歌流れていたね~」と友達に言われても「そっかー」という感じであまり気にしたこともなかったのですけど、大人になってからは、私の声が皆さんの心の中に強く残っていることを実感させられることが多いですね。
歌であっても、お茶であっても、
人と人とのつながりが人生を豊かにする。
6歳からはNHK東京放送児童合唱団(現NHK東京児童合唱団)に所属し、本格的に歌い始めるようになりました。私が自分でやりたいと思って合唱団のオーディションを受けたのですが、両親には歌手は持って生まれたものの影響が大きいという考えがあったので、鍛錬で花開く可能性があるピアノやバイオリンなどの楽器演奏を勧めたかったらしいですけれど。合唱団のメンバーとは、今でもお付き合いがあります。同合唱団は18歳になると卒団になるのですが、突然歌う機会を失ったことによる寂しさを感じ、それなら歌う場所を自分で作ろうと思い、同期と女性コーラスグループ「リトルキャロル」を結成しました。今年で24年目を迎え、約30名のメンバーで構成されており、クリスマスシーズンを中心に様々なコンサートやイベントに出演させていただいています。
リトルキャロルの活動は、最初は日本ユニセフ協会が毎年開催している「ハンド・イン・ハンド」という募金イベントから始まり、高齢者施設やクリスマスイベントなど、様々な場所で歌い続け、活動が広がってきました。昨年は結成当初から24年続けているユニセフのイベントや自主公演に加え、オーストラリアでの海外公演、六本木ヒルズのクリスマスコンサートにも挑戦しました。最近は子どもを持つメンバーも増えてきたので、自主公演は2年に1回くらいの開催になりましたが、その準備のため通年で練習しています。普通の友達は3ヶ月に1回会うのも多いほうだと思いますが、私たちメンバーは練習で1週間に1回程度会います。同期の5人とは6歳の頃からずっと(笑)。練習なので雑談などをしている暇はないのですが、毎週みんなの顔を見て健康確認もしている感じですね。2018年に開催された「EOS EXPO」に参加し、JWティーを中心とした集まりを見ていても思いますが、ある程度の年齢を重ねた中で、人と人との深いつながりがあるというのは素敵なことだと思います。私たちのように歌が好きでも、お茶が好きでも、運動が好きでも良いのですけど、そういうつながりがあると仲間が増えますし、人生が豊かになりますね。
全世界公開「ハリー・ポッター」シリーズの
最終作でオープニングテーマを歌う。
2011年には全世界で公開された映画「ハリー・ポッター」シリーズの最終作『ハリー・ポッターと死の秘宝PART2』のオープニングシーンで流れる「リリーのテーマ」を歌わせていただきました。以前からの知り合いで、同作の音楽プロデュースを担当していたフランス人作曲家・アレクサンドル・デスプラさんから「ちょっとこれを歌ってみてくれない?」と突然連絡があったのです。初めてお会いした時から新曲を出す度にアレクサンドルさんに送っていたのですが、アイルランド風の曲を歌えるシンガーが中々見つからなかったらしく、「麻衣の声はどうだろう」と思ってくれたようです。私はそんなすごいこととは露知らず、録音したテープを送りました。すると、デヴィッド・イェーツ監督が各国の応募者の中から選んでくれて、合格通知を受けて初めて「ハリー・ポッター」のオーディションであったことを知ったのです。翌月にはザ・ビートルズが録音を行ったことで有名なロンドンのアビー・ロード・スタジオでレコーディングしました。レコーディング後は連絡がなく、試写を見るまでは本当に自分の歌が使われているのか分からなかったのですけどね(笑)。
ここ最近楽しんでいる活動が、歌と日本の伝統芸能を融合させた舞台『麻衣と舞』です。能楽界の貴公子とも呼ばれる梅若紀彰さんとのコラボレーションで、今年2月には作家「三島由紀夫」をテーマに行いました。歌舞伎の基礎となったのが能楽(江戸時代までは猿楽と呼称)と言われ、歌舞伎のような派手さはないですが、大変洗練された芸術です。7世紀頃に中国大陸より日本に伝わった伎楽や奈良時代の散楽に端を発すると考えられています。紀彰さんは600年の歴史を誇る梅若家において、当主の梅若実さんと共に中心的役割を果たしておられ、磨き上げられた舞は60歳を超えてさらに凄みを増しています。その紀彰さんと一緒にやれる機会は大変貴重ですし、ゆくゆくは海外でも公演したいと考えています。外国の方が見ても、ピンと張り詰めた空気の中、極限まで高められた技術をもとにした美しい和の舞は感動してもらえると思うのです。能楽は超自然的で“目に見えない”ものを題材とした想像の世界なので、自分でどのようにイマジネーションを膨らませられるかという面白さがあります。もちろん日本の方々にもぜひ一度足を運んでいただきたいですね。
喉を健康に保つため、JWティーをボトルで
持ち歩き15分に1回飲む。
これまで歌手として活動してきましたが、私には歌一本に絞るつもりはなく、作詞・編曲などプロデュース業にも取り組んでいます。ただ、歌い続けなければ実力はどんどん落ちてしまうので、より良い声の出し方を常に模索し続けています。過去20人くらいの声楽コーチに習ってきましたが、感銘を受けたのは二人。一人はレディー・ガガやミック・ジャガーなど名だたる歌手を教えていたドン・ローレンス先生で、もう一人が声楽では日本初の博士号を取得した青山恵子先生。二人から学んだのは、歌は心だということ。当たり前のようですが、「話すように歌いなさい」「感情を声に込めなさい」と基本の〝基〟について考えさせられたことで歌唱法が変化し、それまでよりも楽に歌で表現できるようになりました。20代までは喉をメインに使って歌っていたような気がします。二人から教わって以降はからだ全体を使って歌えるようになったので、今も歌い続けられているのだと思います。
また、喉を保つためには加湿が大切ですね。特に乾燥する季節は。冬場は家で常に5台の加湿器を動かしています(笑)。そして、出掛ける際はボトルに入れたJWティーを持ち歩き、15分に1回くらいのペースで飲むようにしています。最初ハーブティーと聞いた時、JWティーはクセのある味かなと思ったのですが、全然そんなことなくて飲みやすいですね。私は幼い頃から母が作ってくれた麦茶をずっと飲んでいて、お茶が習慣になっていたのですが、麦茶にJWティーがとって代わっても何の違和感もありませんでした。いまでは父も母も夫も愛飲していて、昨年生まれた息子も近い将来飲むことになると思います(笑)。煮出したJWティーを3本のボトルに注ぎ足し続けているので、家からJWティーが切れることはありません。JWティーを飲んでいたおかげか分かりませんが、息子を授かり、健康に生まれたことは嬉しかったですね。やはりJWティーのような水分を多く摂ることで、体のめぐりを良くするのは重要なのでしょうね。
1,852円(税別)
Wonder Land Records
1,500円(税別)
Wonder Land Records
音楽家・久石譲を父に持ち、2歳でピアノを始め、4歳の時に映画『風の谷のナウシカ』の劇中歌、「ナウシカ・レクイエム」を歌い、世間に大きなインパクトを残した。6歳からNHK東京放送児童合唱団(現NHK東京児童合唱団)に所属。合唱団卒団後、コーラスグループ「リトルキャロル」を立ち上げ、ソロ活動の傍ら現在も合唱を続けるとともに、コンサート企画、編曲、指導などのプロデュースを行う。2010年12月、ファースト・アルバム『麻衣』をビクターエンタテインメントより発売。2011年7月に全世界で大ヒットを記録した映画『ハリー・ポッターと死の秘宝 PART 2』にソロ・ヴォーカルとして参加。その後もNHKスペシャルドラマ『坂の上の雲』第3部の主題歌やラジオパーソナリティなどの活動を通じて「音楽のある豊かな心」の普及を目指している。