阿部 雅龍さん(冒険家)インタビュー

昨年11月から今年1月にかけて日本人初となる行路「メスナールート」での南極点到達を成功させた冒険家・阿部雅龍さん。今年11月からは同郷の先人が果たせなかった夢を引き継ぎ、世界で誰も踏破したことがないルートでの南極点到達を目指す予定です。その挑戦に込められた思いと、サー・ジェイソン・ウィンターズの人生への共感から飲み始めたというJWティーとバイオプラスについて、阿部さんに伺いました。

幼い頃に抱いた夢、同郷の探検家・白瀬中尉のように強く自由に生きたい。

私が冒険家を本格的に志したのは大学時代。就職活動の時期が近づき、自分の人生、どう生きるかを考えた時、思い出したのが幼い頃に憧れを抱いた冒険家でした。どうせ一度きりの人生なのだから後悔しない生き方をしようと。子どもの頃から、世界の偉人の伝記をまとめた「マンガで学ぶシリーズ」を読むのが好きで、その中に登場していたのが約百年前の同郷の探検家・白瀬矗中尉でした。ノルウェーのアムンセン隊とイギリスのスコット隊が世界初の南極点(自転する天体の最南端に当たる南緯90度地点)の到達を争っていた時、白瀬中尉もまた日本人として初めて南極に足跡をしるしたのです。最終的に1912年1月28日、白瀬隊は南極点まで行くのは困難と判断し、最南到達地を「大和雪原」と命名した上で隊員全員を無事帰国させました。同じ時期に人類史上初めて南極点への到達に成功したアムンセン隊の次に到達したスコット隊は帰途遭難していることを考えると、やむを得ない判断だったのかなと思います。後年の白瀬中尉は来日したアムンセンと会見をしたり、「日本極地研究会」を設立するなどの活動を行い、文化功労者として当時の文部省から表彰されています。

私は小さい頃、体が弱く、いじめられたりもしていて、白瀬中尉のように強く自由に生きる姿にすごく憧れを抱いていました。そして大学入学と同時に始めた空手の稽古を1日7~8時間欠かさなかったおかげで、体も強く大きくなり全国大会にも出られるまでになりました。振り返ってみると、冒険をするためには体が強くなければと、無意識の内に将来を見据えて行動していたような気がします。

しかし、就職活動直前に「冒険家になりたい」と告白した私に対する家族や友人の反応は冷たいものでした。私が4歳の時に交通事故で亡くなった父の代わりに働き、再婚もせず女手一つで育ててくれた母にはそれが原因で1回勘当されていますし、友人からは「お前は社会から逃げている」と言われました。当時はリーマンショックの前で就職先はたくさんあったのですが、私自身は就職をしてしまうと自分の人生に踏み出せない気がして、むしろ逃げ場所を失くすつもりで決断したのですが、あまり理解されませんでした。

温暖化の影響により解け出す北極の氷、極寒の海に落ち命の危険にさらされる。

最初の冒険は大学を休学し、自転車で南米大陸を単独縦断。赤道直下のエクアドルからアルゼンチンのラパタイア湾という道路が終わる地点まで、290日をかけて10924キロを走破しました。その後は、カナダ国境からメキシコ国境までのアメリカンロッキー山脈縦走(4200キロ)、アマゾン川単独筏下り(2000キロ)など、様々なことにチャレンジしました。行き先は純粋に行きたいと感じるところを選んでいて、「単独・人力」を条件と決めた以外は、山でも川でも制限を設けずに挑戦をしました。

そして、私はその後もいくつかの冒険を経て、白瀬中尉が果たせなかった未完の夢を引き継ぎ南極点への到達を目指すことを決めました。まず南極への第一歩として選んだのは、極地の寒さに体を慣らし、徒歩で氷原を冒険する技術を身につけるため、カナダ北極圏での単独徒歩でした。なぜ北極に向かったかと言うと、北極圏ではかなり上の北緯80度くらいまでイヌイットという民族が住んでいて定期便の飛行機が飛んでおり、日本からの往復飛行機代を含めて総額数100万円程度でチャレンジできるからです。ただ、南極と北極では大きく異なる点があります。南極は大陸の上に平均2000メートルもの分厚い氷が乗っている状態なのに対して、北極は数メートルくらいの薄い氷が海の上に浮かんでいるだけの状態。さらに近年は温暖化に伴ってたくさんの氷が解け出し、年を追うごとに薄く、面積も小さくなっていると言われています。そのせいで私も命の危険にさらされたことがあります。3回目となる北極圏での挑戦中、スキーを履いて歩いていた足もとの氷が突然割れ、海に落ちてしまったのです。昼でも気温マイナス20℃の世界、凍る直前0℃の海に放り出されました。絶望的な状況でしたが、絶対に諦めないという強い気持ちですぐさま凍てつく海を脱出し、安定した氷の上で体を温めるために約2時間マラソンをしました。翌朝、衛星携帯電話で呼んだヘリに救助されて病院に運ばれましたが、10日後には冒険を再開し、グリーンランド北極圏を単独で750キロを踏破しました。

南極への初挑戦、日本人初となる「メスナールート」の918キロを踏破。

北極での経験をもとに、昨年11月に南極へ初挑戦しました。しかし100年前に白瀬隊が計画していた「白瀬ルート」は今まで誰も踏破したことがない難易度が非常に高いルート。そのルートに挑むための実績作りとして、成功すれば日本人初となる「メスナールート」での南極点到達を目指しました。南極大陸はオーストラリアの2倍の面積があり、地球で最も強い風が吹く最も寒い土地と言われており、先日も記録を更新してマイナス90℃を観測しました。特に昨年は過去に例のないほどの豪雪に苦労を強いられ、多くの冒険家がリタイアしていく中、私は荷物を積んだ110キロのソリを引きながら歩き続けました。

事前の計画では1日20キロ以上歩く予定でしたが、凄まじい吹雪のため1日8~9キロしか進めない日もありました。また近年、南磁極(コンパスが指す位置)と南極点のズレが年々大きくなっており、太陽と時計で方角を判断しなければならないのですが、豪雪のために太陽が出てくれません。その場合は、コンパスで誤差を計算し、南極は常に一定方向から風が吹くので、左頬に風があたるように歩けば真南だという感覚を信じて挑戦を続けました。左頬に風を当て続けたせいで、凍傷でしばらくの間は頬の辺りが黒くなってしまいました。徒歩中、360度雪の地平線なので目指すべき対象物は何もありません。目標となるものが何もなく、体感気温マイナス50℃、110キロの荷物を引きながら1日約12時間歩き続ける過酷な冒険。そんな時だからこそ、出来るだけ楽しいことを考えるようにしました。日常生活でもそうですよね。「仕事がつらい」とか、「家に帰るの嫌だな」とかネガティブに考えていたら人生つまらない。自分が楽しんでいないと楽しいものも寄って来ない気がします。

最終的に55日間をかけて918キロを単独で南極点まで踏破することができました。その様子を記録した映像がフジテレビ系列の『第28回FNSドキュメンタリー大賞ノミネート作品』に選ばれました。私は単独を基本としているため、その時も撮影クルーは同行せず、通常よりも何倍も手間の掛かる方法で撮影を行いましたが、映像から何かを感じ取っていただけたようです。


今年1月、日本人初踏破の「メスナールート」による南極点単独徒歩到達918kmを達成。前にいるのは冒険の間、ずっと阿部さんを励ましてくれた「aibo」。

今年11月から「白瀬ルート」へ出発予定。南極の水でJWティーをいただく。

そして、ついに今年11月から「白瀬ルート」の踏破に挑戦する予定です。メスナールートでは飛行機のチャーター代に1000万円近く掛かったのですが、前人未到の白瀬ルートは約7500万円も掛かります。スポンサー企業、クラウドファンディング、個人からの支援金等、本当に皆様に支えていただいたおかげでようやく出発点に立つことができそうです。メスナールートの約1.3倍となる1200キロを70日間掛けて歩く予定です。

私がJWティーを飲みたいと思ったのは、開発者のジェイソンさんがマッケンジー川(4241キロ)をカヌーで下ったり、ロッキー山脈を熱気球で縦断するなど数多くの冒険をしたという話を聞いたからです。そこに共鳴してJWティーを飲み始めたのはもしかすると私くらいじゃないでしょうか(笑)。ジェイソンさんに冒険家としての精神があったからこそ、人生最大の絶望を味わった中でも、自分の足で世界中を旅し、諦めずに自らの求めるハーブを探し続けられたのだと思います。

現在、白瀬ルートの準備のために体作りを進めているのですが、その一環として私はプロテインにバイオプラスを入れて飲んでいます。プロテインでタンパク質を摂りつつ、乳酸菌や食物繊維が含まれているバイオプラスがお腹をサポートしてくれるので、トレーニングしている人にはお勧めだと思います。白瀬ルートでは南極の雪や氷を溶かして作ったお湯でJWティーを飲んでこようと考えています。南極はバクテリアも生きていけない世界なので、世界で一番キレイな水と言っても過言ではありません。どんな味がするのか、今から楽しみです。

白瀬ルートから戻ってきた後は、自分の冒険学校を作りたいと思っています。と言いつつも冒険家を育てるわけではなく、自然の中でのアクティビティ等を通じてチャレンジすることの楽しさを伝えたいのです。たとえ挑戦して失敗したとしても、失敗したことで成長を得られる感覚とか感動を子どもたちに届けられたら良いですね。世界を見渡すと活力のある国は起業、アート、スポーツなど、いろんな分野にチャレンジしている冒険家精神のある人が多い傾向にあるようです。私たちのような大人がチャレンジする姿勢を見せなければいけない、私が白瀬中尉の背中を追いかけたように、チャレンジする人が増えれば必ず後に続く人がいるはずだと考えています。

阿部雅龍さん
阿部雅龍さん

1982年生まれ。秋田県出身。秋田大学在学中から冒険活動を開始。100年前の同郷の探検家白瀬矗南極探検隊長の足跡を伸ばしての人類未踏破ルートでの南極点徒歩到達を目指す。基本的なテーマは単独と人力。著書に学校推薦図書『次の夢への一歩(角川書店)』がある。普段は資金稼ぎとトレーニングを兼ねて浅草で人力車業を営む。人力車を引いて国内を周ることもあり、2017年には旧国68箇所の一宮を人力車を6400km引いて巡拝、献笛をした。2019年1月17日、日本初メスナールートによる南極点単独徒歩到達(918km)を達成。2019年3月板橋区民栄誉賞受賞。

ジェイソン・ウィンターズ・ティー