倉上 万莉佳 さん(愛用歴2年7ヶ月) × 倉上 典子 さん × 倉上 清彦 さん
栃木県足利市在住。万莉佳さんが小学6年生の時から体調を崩し始め、ご家族で見守り続けてきた。現在は、JWティーやお茶仲間のサポートもあり、障がい者就労支援にて仕事をしながら、社会復帰に向けたリハビリができるまでになった。万莉佳さん、両親(清彦さん、典子さん)、妹、祖母の5人家族。
※愛用歴は2024年3月現在
先の見えない暗いトンネルの中、JWティーという希望の光が現れた
万莉佳 私は小学校ではドッジボールクラブに所属し、ふれあい委員会の委員長も務める等、どちらかと言えば活発な子どもでした。しかし、小学校6年生を機に体調を崩し始めたのです。学校で行った子宮頸がんワクチンの集団接種後、まず生理が半年間止まってしまいました。最初は中学校への移行期で、新たな部活や勉強のストレスのせいくらいにしか感じていませんでしたが、月経不順、吐き気、頭痛、眩暈 、倦怠感等の様々な症状も起こるようになりました。
典子 高校2年生の時には万莉佳の体調は急激に悪化し、学校にも通えなくなりました。家では横になっているか、座っているかしかできません。自分の夢を目指して、大学のオープンキャンパスに行ったりもしていたのですが、全ての道が途絶えてしまったのです。
万莉佳 何もできずにただ息をしているだけの日々を送り、長い時間、社会から切り離されました。他には脳機能障害も始まり、大好きだった勉強もできなくなってしまいました。文章を読んでもすぐに忘れてしまう。何回も読み直したり、日本語で会話をしているのに、外国の言葉を聞いているようで全く理解できなかったりしました。
清彦 本当に寝たきりに近く、絵が多い簡単な本も理解して読むことができなくなっているようでした。
典子 このような病態の治療に対応できる病院は大変少ないです。遠方の千葉県の病院に通院する際も、万莉佳は疲労感が激しいので車イスや杖を使ったり、前泊をしたりしないといけないのです。治療を受けることもままならないのに、高校卒業後、社会との接点を得られず、取り残されているような孤独も感じるようになっていきました。そんな時、夫のお姉さんがJWティーをプレゼントしてくださいました。
万莉佳 脳神経外科の先生が健康法の1つとして紹介していたという話を聞き、良いかもしれないと思いました。また、ジェイソンさんのストーリーを読み、最後の最後まであきらめない姿勢に心を打たれました。まさに私たち家族も、長年の間、先の見えない暗いトンネルの中を歩いている感覚でした。そして、もうダメかと思った時に目の前に現れたのがJWティーでした。最初は、薄くしたお茶をコップ半分くらいしか飲めませんでした。ただ、伯母から私の話を聞いたお茶仲間の阿部さんや家泉さんが親身になって声を掛け、何か力になれないかといつも気にかけてくれたのです。症状のために社会から孤立して暮らしていた私は、その優しさと温かさが嬉しくて、ちょっとずつでも飲み続けたいと思いました。
典子 それからしばらくすると、徐々に万莉佳に笑顔が戻ってきたのです。お茶仲間のサポートがあり、お茶会に出掛けることも少しずつできるようになりました。そして、昨年9月には念願だった自動車の運転免許も、2年ごとの更新という制限付きではありますが、取得することができました。
清彦 今、私と妻と万莉佳は奇跡的な偶然が重なり、一般社団法人「まなび」※が運営する「アーチカフェ」で働いております。次女も、絵が得意なのでカフェのメニュー表や看板のデザインを手伝ってくれています。 ※イオスのグループ企業で障がい者の就労・生活支援を行う。
万莉佳 教職だった父が、昨年定年退職を迎えたことも大きなきっかけです。何年もの間、私たちの助けを求める声は届かず、家族は私を支えるためにたくさんの時間とお金、労力をかけてきました。両親は「私を治すことに人生の全てを注いできた」と言っても過言ではありません。「カフェ」は、両親にとって第二の人生の夢であり、失ってきた2人の時間が、再び幸せへと動き出す第一歩とも言えるものです。初めて私が運転する車でカフェに出勤した時の家族の嬉しそうな顔が今も心に残り忘れられません。
「ARCH CAFE(アーチカフェ)」
住所:栃木県足利市八幡町643-6
営業:10:00〜17:00 ※日曜は10:00〜13:00
定休:祝日
電話:0284-22-3836
※東武伊勢崎線「野州山辺駅」より徒歩2分
倉上さんご家族流JWティーのある暮らし
【作り方/1日に飲む量】
土瓶に2.5~3リットルの水とJWティー5袋を入れて煮出す。万莉佳さんはコップ2杯分くらいを飲む。バイオプラスはご家族1人1包程度。
【アレンジ】
ジェイソンさんへの感謝の気持ちが鶴に乗って届くよう、JWティーとバイオプラスの袋で作った折り鶴。