星野 高士さん(俳人)インタビュー

大正・昭和初期に俳句の門戸を大きく開いた高浜虚子(たかはま きょし)。その曾孫(ひまご)である星野高士さんは、ご自身も俳人、そして鎌倉虚子立子(たつこ)記念館館長として俳句の普及に尽力されています。星野さんに俳句の成り立ちや詠むうえで大切にすべきこと、さらには俳句大会での出会いから飲んでいるというJWティーについてお伺いしました。

俳句の歴史は1200年以上前の『万葉集』の和歌に遡る。

俳句の歴史は奈良・平安時代まで遡ります。1200年以上前に編纂された『万葉集』には4,500首を超える和歌が収められ、その和歌から派生して興ったのが連歌(れんが)です。連歌では、「五七五の上の句(発句・ほっく)」と、「七七の下の句(脇句・わきく)」の長短句を交互に複数人で連ねて詠み、1つの歌にしていきます。 長連歌(ちょうれんが)は、五七五・七七、五七五・七七…と繰り返しながら全体で百句になるまで作り続けたりします。そして、貴族がたしなむような高尚な連歌から派生し、遊戯性を高めたのが室町時代に始まった「俳諧連歌」です。俳諧の祖と称される山崎宗鑑(そうかん)が編纂した俳諧撰集「犬筑波集(いぬつくばしゅう)」の自由で滑稽味のある句風は江戸時代にまで影響を与えました。
連歌の1句目となる発句は、あいさつ句とも呼ばれ、連歌会が行われる場所や季節感を上手に歌の中に盛り込む必要があります。そして、江戸時代の松尾芭蕉の登場により、冒頭の発句の独立性と芸術性が高まりました。その流れは与謝蕪村、小林一茶へ受け継がれ、明治時代に正岡子規が登場します。ここから「俳諧の発句」は「俳句」と呼び名を変えることになります。子規は結核で34歳という若さで亡くなってしまいましたが、子規の仲間であり、子規が創刊に深く関わった俳句雑誌『ホトトギス』を継承した私の曾祖父・高浜虚子が俳句の門戸を大きく開きました。

夏目漱石『吾輩は猫である』誕生の裏に虚子あり。

虚子主宰の『ホトトギス』は、明治期には総合文芸誌として、大正・昭和初期には保守俳壇の最有力誌として隆盛を誇りました。夏目漱石が小説『吾輩は猫である』、『坊ちゃん』を発表した雑誌としても有名で、実は夏目漱石に長編小説の執筆を勧めたのも虚子。もともと漱石は俳人になりたかったけれども、子規が漱石の俳句に添削をいっぱいしてしまって、漱石は気に入らないわけですよ、神経質なところがあるから。見かねた虚子が「短いものより、長いものを書いたほうがいいのでは?」とアドバイスしたそうです。そして、漱石は小説を書き上げ、タイトルを『猫伝』と迷っていたそうですが、虚子が現在のものを推し、さらに漱石の許可を得た上で虚子が手を加え『ホトトギス』に掲載したのが『吾輩は猫である』と言われています。そのあとに『坊ちゃん』も掲載し、共にベストセラーとなりました。ところが虚子は、本当は漱石みたいに小説家になりたかった(笑)。虚子は小説を新聞などで連載しましたが、一般受けしませんでした。2人とも、望むのとまったく異なる道を選びました。面白いものですね。
虚子は1928年、54歳の時に俳句こそは「花鳥諷詠」「客観写生」の詩であるという理念を掲げています。どちらも虚子の造語。花鳥諷詠は、季題の花鳥風月に、調子を整えて詠う(うたう)意味の諷詠を組み合わせたもの。客観写生は、事物を客観的に描写することによって、そのうしろに主観を滲ませるという考え方。例えば保守派の虚子が、対立していた新傾向派の河東碧梧桐(かわひがし へきごとう)との決意を表現するために詠んだ歌が「春風や闘志抱きて丘に立つ」。人間も自然の一部と捉え、ありのままの自分を表現したのです。また、この句が示すように、もともと俳句は大正まで男の世界でした。大正の終わりくらいから女流が出始めました。虚子が「これからは女性も参加しないと、未来がない」と語っていたそうです。「女性が参加して50年経ったら広まる」と。今や俳句は女性がお茶を飲みながら句を詠むイメージ。私の句会でもいつも女性参加者の割合が7割くらい。虚子は85歳で亡くなるまで、俳句の普及に努めました。俳人として文化勲章を授章したのは虚子ただひとりです。虚子は文化勲章を授章した際に「子規の代理でいただきました」と言ったそうです。謙虚な言葉がいいじゃないですか(笑)。

鎌倉虚子立子記念館には高浜虚子や星野さんの作品が展示

俳句の基本ルールは、「季題を入れて五七五の十七音に整える」

虚子が大阪毎日新聞の講演会で「花鳥諷詠」「客観写生」を掲げた際、当時大変なインパクトを与えました。俳句の作法として、今でもその流れが続いています。ただ、その言葉だけが先走ってしまって、きちんと活用できているかというと難しいですが。俳句の基本ルールはシンプルで、「季題※1を入れて五七五の十七音に整える」だけ。あとは「切れ字(きれじ)」を組み合わせるかどうか。代表的なものは「や・かな・けり」。例えば、皆さんもよくご存知の「古池や 蛙飛び込む 水の音(松尾芭蕉)」の最初の句が“や”で終わっていますよね。これは切れ字を使って文を切断することで読者の注目を集め、そこに間を持たせると共に、余韻や感動を生ませる役割を果たしています。十七音という少ない音数で情景や心情を表現するための技法です。
俳句は「世界一短い文学」だと言えるでしょう。その短い中で何を言うか、伝えるか。世界中どこを探しても他に類を見ません。私は現在、ユネスコに俳句の世界文化遺産への登録を申請しています。審査員が調査の目的で、私達の句会に来たりもしています。認められる可能性は高いと私は考えています。世界中でいま流行っていますから。アメリカでは『HaikuJournal』など、俳句関連の雑誌も海外で出版されています。そこでは日本語ではなく各国の言葉で作られています。ただ、五七五とかは絶対に成立しないので、、先ほどの芭蕉の「古池や…」を英語にすると「The ancient pond、 A frog leaps in、 The sound of the water.(ドナルド・キーン訳※2)」のように3行に分かれていれば俳句として捉えています。それは俳句ではないと言う人もいますが、そう言うのも野暮ですから(笑)。虚子も若い時分、俳句を伝えるためにヨーロッパへ渡ったりしていたのですよ。

※1 句会などで題として出される季語。 ※2 米国出身の日本文学と日本文化研究の第一人者(1922~2019年)

俳句の上達には「多作多捨(たさく たしゃ)」、たくさん作って、たくさん捨てる。

良い俳句を詠むためには、まず「探求心」を持つこと。探求心でモノを見ると、同じ桜を見ても、普段と異なって見えます。お花見で単純にキレイだなと思うのも大切ですけど、このお花見で得た感動をみんなに伝えたいとか、表現したいとか、そういうのが俳句ですから。そして、とにかく素直になること。ゴルフ等もそうですけど、上手くなろうというのはカッコつけようという心。リラックスして、肩の力を抜いて、自分の感動を素直に十七音に込める。一朝一夕にはいかない。上達するには少し時間がかかるけども、それを自分で楽しみながら超えていく。いまは人生100年時代ですから、認知症予防に頭を使うのも良いですし。
あとは、「多作多捨(たさく たしゃ)」と伝えています。たくさん作って、たくさん捨てろ、これが必要だと思います。ただ、初心者が陥りがちなのが、良い作品も捨ててしまう(笑)。複数人で集まって行う「句会」に俳句を出す際も、それぞれが自ら選ぶので。自分で良いなと思っても、人が良いと思って感動しなければ意味ありません。作品を全部出すわけにいかないし、事前に他人に見てもらうというのも野暮ですから。大体、句会が終わってみんなでお茶をする時に、「私は実はこれを出したかったのですよ」と言われて見ると、「そっちのほうが良いよ」と。様々な作品を見て、自選力も養わなければなりませんね。
そして、自分1人で行動し静かに詠むというのもありますが、大人数でどこかへ出掛けた時であっても、その中でどれだけ1人になれるか、というのも大切です。ただし、不愛想にしているわけにもいかないので、ニコニコ笑いながら心では1人になる。これは私の俳句手帳。作品がいつ思い浮かぶか分からないので、常に持ち歩いています。

星野さんが持ち歩く俳句手帳。

心を落ち着けてくれるJWティー、俳句との親和性を感じた。

現在、私は「鎌倉虚子立子記念館」の館長をしています。仮オープンの際には三笠宮殿下(昭和天皇の実弟)にお越しいただきました。虚子の娘で、私の祖母の星野立子(たつこ)が殿下に俳句の手ほどきをさせていただいた関係です。私も殿下の赤坂の御所に2度ほど伺いました。11時の予定だったら11時ぴったりに行かないと守衛に止められてしまう。いい経験しました(笑)。そこで句会をしたりしたのです。
本来、句会とは1つの場所に集まってみんなの顔を見ながらするのですけど、去年からコロナなので今はオンラインですね。最初はやむを得ずしていましたが、淡路島の人が参加したり、沖縄の人が参加したり、参加者の幅が広がりました。高齢者の方はついていけないというマイナス面もありますが、意外と面白いですね。
一昨年、NHK学園主催で行われた山形県の月山(がっさん)俳句大会に選評者として参加しました。イオスさんも月山のある西川町とは以前から関わりが深いそうですね。お昼頃、選者室でお弁当を食べていたらお茶が出てきたのです。普通のお茶だと思って飲んだら、「あれ?これちょっと違うな」と。月山の薬草とか、キノコとか入っているのかなと。それがJWティーとの初めての出会いでした。「これどこの?」と聞いたら、海外だった(笑)。お茶は、やはり心を落ち着けてくれますよね。これは句会のみんなに勧めていますよ。俳句を詠む際にも、心を落ち着けてくれる、その安心感が良いと思います。
今後の目標としては、やはり自分の俳句を突き詰めたい。選評者としての活動をほめてくれる人もいますが、俳人の星野高士としての作品をもっと作り上げなければいけない。今年9月には、立子が創刊し、母の椿が名誉主宰、私が現主宰の俳誌『玉藻(たまも)』90周年のパーティーをします。実際は昨年だったのですけど1年間延びました。この節目に俳人としての気持ちを更に高めたいですね。

昨年、創刊から90周年を迎えた星野さん主宰の俳誌『玉藻』。
星野 高士さん

星野高士さん公式HPはこちらから

俳人
1952年神奈川県生まれ。高浜虚子の曾孫、星野立子の孫、星野椿の長男。祖母である立子に師事して、10代より句を詠みはじめる。鎌倉虚子立子記念館館長を務める。句集に『破魔矢』『谷戸』『無尽蔵』『顔』『残響』がある。 国際俳句交流協会 理事/俳句ユネスコ無形文化遺産 登録推進協議会 理事/日本伝統俳句協会会員/日本文芸家協会会員/朝日カルチャー講師/ホトトギス同人/主宰『玉藻』
玉藻公式HPはこちらから


鎌倉虚子立子記念館

住所 神奈川県鎌倉市二階堂231-1
電話 0467-61-2688
拝観料・入館料 施設維持費として1人500円の寄付
開館時間 10時~15時
※木曜のみの開館(祝日の場合は休館)
※事前にご連絡をお願いします。
ジェイソン・ウィンターズ・ティー