堤 江実さん(詩人、エッセイスト)インタビュー

詩人、エッセイスト 堤 江実さん

文化放送アナウンサー、経営者、そして詩人と活動の幅を広げてきた堤さん。また、長女はベストセラー作家のジャーナリスト、長男は米アカデミー賞にノミネートされたアニメーターとして才能を開花させるなど、その子育て方法にも注目が集まっています。「詩とJWティーの成り立ちは同じ」と語る堤さんにお話を伺いました。

同級生に流されて、文化放送アナウンサーに。

大学に入学し、最初は演劇部に入ろうとしていました。でも派手な人ばかりいたので、地味な私には合わないと思って止めました。ただ放送研究会にもドラマ科があると聞き、そこに入ることにしたのです。後に人気アナウンサーとなった土居まさるくんも一年下にいました。彼は文化放送アナウンス部の後輩でもあります。
実は私、もともとアナウンサーを目指していたわけではなく、みんながアナウンサー試験を受けるなら私も受けてみようかなという感じでした(笑)。文化放送に入社2年目の1964年には東京オリンピックの熱狂や完成したばかりの新幹線に乗って中継をしたりしました。

あの頃のラジオは出演者が豪華で、『キャスター』という番組では岡本太郎さん、手塚治虫さん、寺山修二さん、大島渚さんなどが日替わりでキャスターを務め、そこにアナウンサーが一人ずつ付きます。一番気難しそうな岡本太郎さんには、どういうわけか私が付くことになりました。岡本太郎さんは言うこと一つ一つが辛辣で、一度吉永小百合さんについて思ったままを言ったら、オンエア中にすごく怒られたりして怖かったです(笑)。
でもアナウンサーはけっこう重労働のため体を壊してしまい、結婚したこともあって、5 年で退社することになりました。その年に大学の後輩でもある御法川くん(みのもんたさん)が入ってきました。当時はすごく控え目でさわやかな少年という印象だったのを覚えています。

24年の社長業を経た後、詩を書き始める。

アナウンサー退職後は、二人の子どもを育てながら、女性視点を活かせるグリーティングカードなどを扱う紙製品の輸入販売会社を立ち上げました。会社経営はアナウンサー時代より更に忙しく「このままだと一生お金と人の心配をしなければならないかも」と思うようになり、ほかの人に会社を譲ることにしました。会社設立から24年目のことでした。

しかし譲る方に権利を買っていただいたわけではなく、会社の負債は社長の私が精算しなければならなかったためアパートなど自分の資産を全て売ってしまい、52歳でほぼ一文なしに。ただ、せっかく時間ができたし、1ヶ月間ヨーロッパに行こうと決めてドイツの友達のところに行きました。子どもたちからは「お母さん、何考えているの?」と言われてしまいましたが(笑)。その友達がヒーラーとして民間療法のクリニックを開いていて、ある時コンベンションがあったのでそこに同行することにしました。

ところがドイツ人のヒーラー仲間も来ていたため車の移動中もずっとドイツ語で話されてしまい、私は何時間もすることがありませんでした。ふと紙切れとペンを持っていたことを思い出したので手にすると、詩の言葉がわーっと降ってくる感じを覚え、夢中で詩を書き始めていました。気がついたら1日で23篇もの詩ができていました。

その後、帰国し、翻訳の企画で出版社を訪ねると、編集の方に「最近は短い文章が流行っているのですよね」と言われたので、たまたま持っていた23篇の詩を見てもらったのです。そうしたら「これでいきましょう」とその場で決まりました(笑)。偶然、その編集の方は画家の寺門孝之さんが描く天使の絵に合う文章を探していたのです。結果、詩集としては異例の1万2000部売れました。
そんなこともあって第2弾、第3弾と詩集ができることとなりました。当時、詩人と名乗るのは気恥ずかしい部分もあったのですが、何冊か出していくうちに「誰かの魂に触れることができている」と感じる読者からのお手紙が日本中から届くようになり、これは頑張らなきゃと思いました。

子育ての秘訣は、自立心を身につけさせること。

私が社長を辞めた当時、娘は大学院生、息子は大学生としてアメリカに留学中という状況でしたから、子どもたちも驚いたでしょうね(笑)。
現在では、娘の未果は岩波新書の『ルポ貧困大国アメリカ』が50万部を超えるベストセラーとなるジャーナリストに、息子の大介は映画会社のピクサー・アニメーション・スタジオで『トイ・ストーリー3 』や『モンスターズ・インク』などの作品にアートディレクターとして関わり、昨年にはピクサーから独立して制作した『ダム・キーパー』が「第87回アカデミー賞」短編アニメーション部門にノミネートされるなど、アニメーターとして頑張っています。

よく子育ての秘訣を聞かれたりするのですが、3つ挙げるとするなら、1つは二人とも受験勉強のような知識ではなく、体験を重視した独自のカリキュラムを持つ学校に小学校から高校まで通わせていたため、自立心が幼いころから身についていたこと。2つ目は海外に留学したことでものすごく勉強をする機会があったこと。例えば、同じ年に日本人の同級生が50人ぐらい海外の大学に入学しても、卒業する時には10人以下に減ってしまうくらい勉強が厳しいらしいです。そういう経験が今に生きているのだと思います。3つ目は、これは子どもたちから指摘されたことなのですが、子どもたちを常に「大人」として扱ったこと。だから私は「将来は何するの?」とか聞いたことがありませんし、娘がいじめられて帰ってきた時にも「良かった。いじめる側じゃなくて」と言ってしまって、未だにそれはちょっと恨まれているようですが(笑)

詩とJWティーの成り立ちは同じ。決まりを取り払わないと見えてこないことがある。

JWティーは、最初の詩集を出した出版社の関係者の方から教えていただきました。その頃、娘が体を壊してアメリカから帰ってきていて、何か体に良いものはないか探していました。
なぜ体を壊してしまったかというと、娘は9・11のアメリカの同時多発テロの時、飛行機が突っ込んだワールドトレードセンターの隣のビルにいたのです。1機目が突入したどーんという衝撃を受け、みんなで窓のほうに行って「なんだ?なんだ?」と外を見たら、2機目が突入するところを目の当たりにしてしまいました。さらに、その崩れゆくビルから落ちていく人たちの光景… 。娘はPTSD(心的外傷後ストレス障害)になってしまい、これはもう一生治らないのではないかと思うくらいの精神的な落ち込みようでした。
それで、何でも試してみようとJWティーを飲ませてみると、娘が「JWティーを飲んだらすごく気持ちが落ち着いた」と言うのです。JWティーのおかげでしょうか、いまでは元気に執筆活動などに取り組んでいます。

JWティーについてお話を伺っていると、詩とJWティーの成り立ちは同じだと感じました。どちらも本当に大切なものを突き詰めていった先に生まれてくるものなのではないでしょうか。世の中的には「ここはこうしなきゃ」とか、「ここのときはこう」みたいな決まりが山のようにありますが、それを全部取っ払わないと見えてこないことってありますよね。石川社長にも、JWティーが人の命にとって大切なものだというインスピレーションが働いたのだと思います。もっと前から言えば、JWティー開発者であるジェイソンさん。本当に大切なものを見ていく感覚が、これからもっともっと重要になってきます。世の中がおかしな方向に進みつつありますから。そう気付き始めた人たちが魂レベルで分かり合える力というのが詩にはあるし、JWティーにもあるのだと思います。

堤さんの著書紹介

詩人、エッセイスト 堤 江実さん
詩人、エッセイスト
堤 江実さん

1940年生まれ、立教大学文学部英米文学科卒。大学時代に放送研究会に入ったことがきっかけとなり文化放送のアナウンサーに。

アナウンサー退職後は、グリーティングカード、ラッピングペーパーの株式会社カミカの経営を経て、現在、詩、翻訳、エッセイ、絵本など幅広いジャンルの著作で活躍。
2011年、詩と絵本の活動に対して、東久邇宮文化褒賞受賞。

ジェイソン・ウィンターズ・ティー