誕生の物語

サー・ジェイソン・ウィンターズの生活

ジェイソン・ウィンターズ氏はイギリスの労働者階級の家庭で生まれました。
まだ車に乗ったことも無く、外食をしたことも無い17歳のとき、家族と共に1947年にカナダへ移住し、農家で働くことになりました。その後ジェイソン氏は北ブリティッシュ・コロンビアに移住し、木こりをしながら鮭漁組合で働きました。

冒険が好きだったジェイソン氏冒険が好きだったジェイソン氏は熱気球でロッキー山脈を越えました。カナダ建国100周年の時には、サー・アレクサンダー・マッケンジーの歩みを追想し、カヌーでマッケンジー川を2,000マイル(3,200キロ)以上下りました。それでも冒険への熱が冷めなかったジェイソン氏は、サハラ砂漠をラクダで横断し、その後ニュージーランド政府のシートベルトテストのためのスタントドライバーをしました。

その後ハリウッドに惹かれ、映画「アパッチ・エイジェント」のジェロニモ酋長役で出演しました。ジェイソン氏はスタントマンとしてオーディー・マーフィー氏出演フィルム全てに出演しています。20年にもわたり様々な冒険を経験し、最後に最も過酷な試練を経験しました。

人生最大の試練

人生の岐路に立ったジェイソン氏1977年、46歳になったジェイソン氏はある日突然、重大な人生の岐路に立たされました。
それまでの健康への絶対の自信が大きく揺らぎ、辛く孤独な闘いの日々の始まりでした。
しかし彼は希望を捨てず、自らの健康を守りたい一心から様々な文献を調べ、試行錯誤を繰り返しました。そしてついにハーブに目を留めたのです。

『植物が存在しなければ、我々も存在しない。植物が吐き出したものを、我々は吸い生きている。我々は常に植物から学び続けなければならない』

(北米先住民チェロキー族の教えより)

ハーブは有史以前、人類に文明の起こるはるか昔の新石器時代から、人々の暮らしに役立てられ受け継がれてきました。
ハーブの優れた有用性については、紀元前3,000年、メソポタミア南部のシュメール人によって人類最古の文字・楔形文字での記述があり、また古代ギリシャ時代には医学の父ヒポクラテスも、その著書の中で多くを記しています。
「人類の叡智」の歴史は、まさしく「ハーブの恵み」と共にありました。

世界中を旅して探し当てた
3種類の有用ハーブ

ハーブを求めるジェイソン氏の旅そのときからハーブを求めるジェイソン氏の旅が始まったのです。ハーブの専門家でない彼は、自分の足で世界を旅し、自らの求めるハーブを探し続けました。

やがて時が過ぎ、経済的にも肉体的にも追い詰められた彼の手元には、3つの大陸で出会った三種類のハーブが残りました。
それらはすでに試したもので、満足が得られなかったものでしたが、ある日疲れ果てた彼は、それら3種類のハーブを全て一緒に煎じて飲んでしまうことにしたのです。

・・・奇跡の瞬間でした。

偶然にもそれが3つの有用ハーブの「完全な調和」を生み出したのです。
ジェイソン氏はミックスされたハーブティーを一口飲んで叫びました。
「これだ!とうとう見つけた!」
この奇跡によって、それまで世界のどこにも存在しなかった、新たなすばらしい健康法が誕生したのです。

サーの称号

地元でこの話が話題になり、ジェイソン氏のもとには噂を聞いた人々が押し寄せ、このハーブティーを求めてきました。
そして、ジェイソン・ウィンターズ・ティーは世界中に広まっていったのです。

数え切れないほどの感謝状その後もジェイソン氏は、残りの人生をジェイソン・ウィンターズ・ティーの普及に捧げ、その結果、世界中で愛飲され続け、彼のもとには数え切れないほどの感謝状が届けられています。
また、彼が書いた自叙伝「Jason Winters Story」は18ヶ国語以上に翻訳され、世界的ベストセラーになっています。
彼はその業績を讃えられイギリス、スペイン、オランダ、アメリカ合衆国連邦議会などから数々の勲章を与えられ、ついに最高位のナイトの称号をマルタ騎士団(=聖ヨハネ騎士団:The Sovereign Order of Saint-John of Jerusalem) から授与され、「Sir Jason Winters」となったのです。